【眼鏡橋】
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国指定重要文化財。寛永11年(1634)興福寺二代住持で唐僧の黙子如定(もくすにょじょう)によって架けられたもので日本最初の石造アーチ橋です。

石橋アーチ橋とは、切り石をアーチ型に組む形式で、中国から伝え垂れた最高の架橋技術です。この技術はこの後の長崎の石橋群にいかされ、やがて諫早の眼鏡橋、平戸の幸橋、熊本の通潤橋へと伝えられていきます。他の石橋は単円アーチであるのに対し、如定は中央に橋脚を設けて双円アーチとしました。

このことで水面に映る姿を表して眼鏡橋と呼ばれるようになりました。当初、左岸右岸ともに両端は階段状でしたが明治初年頃、車両通行のために傾斜路に改めました。

江戸時代に大川とよばれていた中島川にはかつて17-18基の石橋が架けられていました。眼鏡橋の上流にある桃渓橋は有名で、延宝7年(1698)僧の卜意(ぼくい)が募財して架けた橋です。

この他にふくろ橋、ひだし新橋、すすきはら橋などがありますが市民の寄進による橋も多く、例えば一覧橋は1657年唐人高一覧(とうじんこういちらん)が募財し、古町橋(1697)は河村氏の母、妙了の喜捨(みょうりょうのきしゃ)、編笠橋(あみがさばし)(1699)は岸村氏夫婦の喜捨、高麗橋(こうらいばし)(1866)麴屋町の池島正助が私財を投じるなど長崎商人たちの豊かさと精神性を感じる石橋群です。


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