長崎県庁舎跡地

Ⓒ長崎県教育委員会

2020年長崎県庁舎跡地の発掘がおこなわれ江戸初期の石垣が発見されました。450年前に長崎の港が開かれたとき、この場所に教会が建てられ教会の前にはキリシタンの町が6つ作られました。

この土地は、海に向かって突き出した岬でしたが、その崖は石垣を築き石垣で囲まれた自然の要塞のような場所でした。この石垣の突端が今回発見された石垣のようです。

貿易が盛んにおこなわれたため近隣の豪族たちがその財宝を奪いに来るのを防ぐため堀を築き、一の堀、二の堀、三の堀までありました。日本各地から貿易のために人が集まり、特に貿易の先駆者の博多の商人たちが多く移住してきました。

本博多町、今博多町などの地名が残っていますし、中嶋屋本店がある築町も慶長5年(1600)博多の商人によって埋め立てられました。

その後、この場所は長崎奉行所西役所となり出島の中や抜け荷を監視する役所でした。また、幕末には長崎海軍伝習所もつくられ、明治になってから長崎県庁舎となりました。

長崎へ原爆が投下されたときはその爆風で火災が発生し、県庁舎の周りも火事のため燃えてしまいました。奇跡的に旧第三別館は大正時代の建物ですが残りました。